昭和のうたの分裂構造(赤とんぼ)のほか(ペチカ)や(からたちの花)を作曲した山田耕筰が、ヨナ抜きを一種の踏み台としてJ(和)からE(洋)へ舞い上がろうとしているのに対して、♪「雨降りお月さん雲のかげ」や♪「てんてんてんまり……」の中山晋平はEの要素をJに沈めるうたに力量を発揮しました。洋に舞うのか、和に引き込むのがこの綱引きはきたるべき昭和の時代全体を通して続いていくことになります。日本で最初の洋風ヒット曲(カチューシャの歌)(14)を作曲したのが、実は中山でした。
[参考サイト]
Acid Black Cherry 着うたフル(R)&着うた(R)無料検索
http://pc.dwango.jp/index.php/m/portal/a/artist/artist_id/24504
徳永英明 着うたフル(R)&着うた(R)無料検索
http://pc.dwango.jp/index.php/m/portal/a/artist/artist_id/1181
平井堅 着うたフル(R)&着うた(R)無料検索
http://pc.dwango.jp/index.php/m/portal/a/artist/artist_id/1224
これはトルストイ『復活』の舞台の劇中歌であり、アチラ風の香りがただよう長調の構成ですが、ヨナ抜きの旋律を基本にして、日本人に違和感のないうたになっています。ちょうどそのころ、巷では(まっくろけ節)というのが流行っていました。汽車の「けむりーでトンネルーはーまっくろけーのけ、オーヤーまっくろけーのけ」(添田唖蝉坊作詞・作曲)というリズムを基本にした調子のよい節で、「歌舞伎座『助六』の上演中、通行人に扮した中村翫太郎が引っ込みに唄って花柳界で大ヒットした」(『日本のうた』第1集)のだそうです。こういう、すぐに手拍子を入れたくなる流行り唄は、たちまち春歌に変わってしまう傾向がありました。歌手を志す者は音楽学校に入って、西洋歌曲の歌唱法を身につけるのが規範となり、三味線音楽は芸者遊びの旦那衆の世界に囲われつつあったとは必ずしも言い切れませんが、「学」と「芸」の間に明確な仕切りが引かれ、日本の熟した芸の世界は夜と興と性の世界に落とされ、教育と文化の理想は、若き優等生らの心を引き連れ、まっすぐ西洋に向かうという大きな対比構造が、うたをめぐって安定していくようすが思い浮かんでこないでしょうか。