アーカイブ

服に足りないものは何か

私たちがどんな服を着るか、服に足りないものは何かといったことは、すべてデザイナー次第である。私たちの肌の露出度はだんだん高まってきている。一九一三年以降、アメリカ人女性の服を作るのに必要な生地の量は減り続け、結果的に六四%も減少しているのだ。ミニスカートがはやれば太ももを露にするし、ヒップにぴったりしたジーンズを穿いておへそを出したり、タンクトップを着て腕を見せたりする私たち。今や、より露出度の高い服を自由に着られることは、エンパワーメントのしるしと考えられている。アカデミー賞授賞式で体の九〇%を露出したジェニファー・ロペスや、マイクロ・ミニで法廷に現れるアリー・マクビールは、強くて自立した存在とみなされ、必ずしも尻軽扱いされたりはしない。アラバマ州バーミンガム在住の二七歳のエディター、レイチェルが言う。「服の面積がどんどん小さくなっていって、私でさえショック受けているんだもの。お上品なおばあちゃんなんか腰抜かしているわよ。私も、いつもテレビに向かってぶつぶつ言っているの。「あれじゃ裸じゃないの」とか、「裸同然でなんで平然としてられるわけ」とか」。そして、それは婦人服に限ったことではないのだ。紳士服も、どんどんボディ・コンシャスになってきた。コレクションには、ぴっちりしたセーターやパンツが多数登場するようになってきており、胸板が厚く腕も引き締まった贅肉のない体でなければいけないと強調しているようである。こうして服が縮む以上、着る側も縮まなければ。露出度が高まり、服がタイトになればなるほど、私たちも自分の体に対してなお一層意識的になる。みんなが毎日袋みたいなムームー姿でドスドス歩き回っているのなら、自分の体を削らなければというような強い強迫観念を持たずに済むだろうに。デザイナーズ・ブランドの服には、そんな殺生な、と言いたくなるものさえある。背が高くてスリムでなければグッチのパンツなんか穿けないし、体の線も露なエルヴェ・レジェのドレスは隅々のお肉(そして脂肪)まで逃さず締め付けてくれる。ビービーやアーデン・Bみたいにかなり露出度の高い服は、完全に着る人を選んでいるし。