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洋服の脇役として

1945年8月、終戦を迎えた日本の都市には、空襲がもたらした破壊の風景が広がっていた。焼け野原となった主要都市には、住む家を失い、日々の食事にも欠乏する人があふれていた。人は悲嘆にくれて、瓦牒の荒野に立ち尽くすしかなかった。しかし人々の生活は劇的に変化してゆく。戦勝国アメリカの華やかな文化が、雑誌や映画、演劇、音楽などを通じてなだれ込んでくる。そして明らかに、目に見える形で現れた変化の一つが、女性たちのファッションだった。戦時中は華美なファッションを禁じられ、和装の筒袖に下半身は“もんぺ”姿で、防空頭巾を手放せなかった女性たちにとって、今こそ誰にも咎められることなく、心から自由にオシャレを楽しめるようになったことも事実だった。焼け跡に木造のバラックが立ち並び、闇市が繁盛し、進駐軍のジープが駆け抜け、GIが閑歩する雑然とした市街に、心の飢餓感を満たすかのように、欧米の最新ファッションに倣った“洋装”の女性たちが、明るく、あるいは刺激的なスタイルで歩き始める。その頃、世界中で流行したパリモードはクリスチャンーディオールが1947年に発表した「ニュールック」だ。たっぷりと布を使ったフレアのロングスカートで、ウェストを細く絞ってくびれを強調し、バストもふくよかに、大きく演出するという、フェミニンなシルエットだった。その後50年代にかけて「○○ライン」といった名称で続々と登場した戦後ファッションも同じようなシルエットである。このようなファッションを綺麗に着こなすには、どうすればいいのか。和装(着物)と洋装(洋服)とでは着こなしの方法がまったく異なる。着物では、胸を押さえぎみに着用して、すとんとした直線的なシルエットを作る。しかし洋服の場合は、そうではない。ブラジャーでバストを上げ、カップの内側にパッドを入れてボリュームを演出する。コルセットでウェストを細く絞り、張りのあるペチコートを重ねた形の“パニエ”によってスカートを膨らませる。バストーウェストーヒップのメリハリを強調したシルエットの造形が不可欠なのだ。『ワコールニュース(1955年10月号)』の解説記事「シルエットによる着方の変化」に、当時流行のスタイルが紹介されている。洋装下着はこれらアウターウェアのファッションを内側から作り出す。土台・の役割を果たす衣服として、日本の一般的な女性たちの前に登場したのだった。和江商事(ワコールの前身)が専属工場でブラジャーの生産を始めたのは1950年、以降、百貨店を中心に女性下着売場が全国に開設されていく。その頃、雑誌『主婦の友』の1950年1月号には、「洋装を美しく着る秘訣」というタイトルで次のような記述がある。「シルエット(服の型が作る外郭線)を美しくするには、下着を整えて体の欠点を補わねばなりません。胸の平らな人はブラジェアー(原文ママ)の中に綿を詰めて豊かにし、お腹の出ている人はコルセットをしめて形を整えることは常識です」また、1954年の下着カタログを開くと、その前書きに「洋装を美しくする焉には、まず自分自身の体の欠点を発見して、それを補う適当なプロポーションを作る協の下着と(中略)シルエットの助けにする様な、洋服自体の形の助けをする役目をもつ下着とがあって体がまとまるわけです」とあり、“体型の補整”を最大の目的と謳っている。こうした記事からは、当時の女性たちの洋装に対する興味と、シルエットに対する関心の高まりがうかがえる。

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